コラム

コロナ禍のメンタルヘルス ~自粛生活の元での喪失体験~

2020年7月
吉川

今年の春の景色は、コロナの影響で一変しましたね。いくつもの出会いと別れが重なる春、大人にとっても子どもにとっても、多くの新しいことが始まる季節。旅行、卒業式、入学式、引っ越しや転勤など、日常を彩る特別なイベントがたくさん詰め込まれる、そんな春のスケジュールの全てが、一瞬にして白紙になってしまいました。その上、先の見通しも立たず、ただただ「感染防止対策」が生活の中心となり、見えないウイルスを相手に人間の無力さを感じた方も多いのではないでしょうか。

友人からこんな話を聞きました。小学生の娘さんのピアノの発表会が中止になり、そのことを伝えたところ「仕方ないね。来年の発表会を目指して、また毎日練習を頑張る」と前向きな返事が返ってきて、我が子ながら感心したと。ところが数日後、リビングから急に娘さんの泣き声が聞こえ、何事かとかけつけたら「やっぱり発表会に出たかった。大好きな曲を一生懸命練習してきたから悔しい」としばらく大泣きだったそうです。お人形遊びをしている時に、ふとピアノのことを思い出し、涙が溢れ出たとのことでした。その話を聞いて私は、あぁ、子どもだけじゃなく、大人の心の中でも同じことが起こっているだろうなぁ、と感じました。
 この春、楽しみにしていた予定が叶わなかったり、涙をのんで手放さざるをえなかったことがありませんでしたか?感染された方々や、最前線で働いてらっしゃる医療従事者をはじめとした様々な職業の方々、そのご家族の思いを想像すると、自身の湧き出る思いをそのまま声に出すことは躊躇われたかもしれません。だけど、自粛自粛と声高に叫ばれる日々の中で私たちは、ささやかな楽しみをほとんど全て諦めるしかない現状もありました。それは、ちょっとした「喪失」であり、そんな喪失を、静かに積み重ねた数か月間だったのではないかと思います。
 プライベートな活動や仕事を減らす、興味があることを諦めるetc。1つ1つが大きく落ち込む出来事ではないはずなのに、何となくずっと気持ちが重い。それでも、自分よりもっと大変な人が世界中にいるのだから…と、欲求を閉じ込め、時には罪悪感を感じ、そうやって知らず知らずのうちに色々な気持ちにフタをしてきた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 コロナの感染リスクを抑えるために、誰もが心理的な代償を払い続けているように思います。心の専門家としては、そのことを決して軽視したくないと考えます。

「喪失」と聞くと、死別のような大きな別れをイメージされるかもしれませんが、心理学では、存在が変わらずあり続けても、心の中のイメージが変わってしまうようなことを「内的喪失」として捉えることがあります。健康を損なったり、環境が変わったり、抱いていたイメージが変化するような場合も、広く「喪失」として扱うのです。
 死別のような外的喪失体験は、「喪(うしな)ってしまった」ことが、自分にも第三者にもわかりやすい一方で、内的な喪失体験の際は、他者から気づかれにくいばかりか、自分自身ですら気づきにくい、という特徴があります。このコロナ禍では、多くの人が、心の中でひっそりと、個人的な喪失体験を積み重ねておられるのではないかな、と思っています。お花見はまた来年でもできる、旅行だってコロナが落ち着いてから再度計画すればいい、大したことない、大したことない…。そうやって、無念さや悲しみに知らず知らずのうちにフタをした瞬間はありませんでしたか?久々に会って友人に話したかったこと、自分へのご褒美にとやっとの思いで手に入れた舞台やライブのチケット、この日のためにコツコツと練習を重ねてきた試合や発表会…そこに向けて進んできた思いやエネルギーが、突然行き場を失ってしまう。それってやっぱり、とても悲しくて、やりきれないことだと思います。

喪失を体験した時は、それに伴う感情を表現すること、分かち合うことが大切とされています(専門用語では「喪の作業」といいます)。そのためにはまず「自分の思い描いていたこと、求めていたことを、失ってしまったのだ」と、認識することが大事です。心の中に確かに存在したものが失われてしまったということを認め、そしてそのことをちゃんと悲しむ、惜しむことが、とても大切になります。喪失にまつわる気持ちを体験することを通して、ようやく心は少しずつ次に進む準備をしていけるのです。だけどもし、失っていること自体に気がつかず、そうした喪の作業もなされぬままでいると、心のバランスを崩したり、元気や気力がなかなかわいてこなかったり、場合によっては体に症状が出てくる可能性もあるのです。
 喪失に伴う感情は、怒りや悲しみなど、一般的にネガティブとされるものであるために、表現することが躊躇われたり、「いつまでも悲しむのはやめよう」「他のことを考えよう」とポジティブな感情に置き換えたくなるかもしれません。特にこのような特殊な状況下ではなおさらです。しかし、自身の中の小さな喪失に伴って心が揺れることは、普通じゃない状況に対する、普通の反応だとみてあげてください。元気になろうと励ますのではなく、心が訴えている声にただ耳を傾けてみてください。元気であろうとすることが、元気への遠回りになる場合もあるのです 。

緊急事態宣言の解除から1カ月が経過しましたが、コロナの足音に耳を澄ませ、日々のニュースから目が離せない日々は変わらず続いています。外へ外へとアンテナをはらざるを得ない日々ではありますが、自身の内側の声に静かに耳を傾ける、そんな瞬間も、大切にしていただければなと願います。